PR 便利な通販

本丸、西の丸、天寧寺

本丸に入り、彦根城天守を見上げた。白と黒と金の配色が美しいと思った。鯱も唐破風の下の金具と同じ金色だった。

天守入り口付近から城下を見渡した。

2階の武者走りはかなり狭かった。

最上階3階の花頭窓と外の高欄。琵琶湖から涼しい風が吹き込んでいた。

天守を出るとちょうど、ひこにゃんのショータイムで、たくさんの人達が集まっていた。ひこにゃんは老若男女を問わず大人気だった。

天守を通り過ぎて西の丸に入ると雰囲気は一変した。お客さんの数はまばら、ほとんどのお客さんは日本人のカップルで、大人の雰囲気が漂う。このお城は外国人のお客さんが少ないと思った。

西の丸三重櫓。青空の中の沁みのような黒い点はトンビ。山の上のお城らしくていい光景だ。

西の丸三重櫓の最上階3階の内部。

黒門山道を下りて内壕に掛かる黒門橋を渡ると玄宮楽々円にたどり着いた。ここは江戸時代は槻御殿(けやきごてん)と呼ばれた彦根藩の下屋敷だったようだ。

玄宮楽々円を出ると大老井伊直弼の銅像に出くわした。外交政策や将軍の後継問題で、反対する者を次々に粛清した安政の大獄は一般的には評判が悪い。しかしここ彦根では安政の大獄はあまり話題にならず、この銅像の横には下の写真の石碑が設置されている。

直弼の業績を讃える石碑。彦根城では、直弼は開国により国難を救った英雄と評価されているようだ。

 彦根城を出て30分ほど歩き、JRや近江鉄道の線路を越え国道8号から少し山に入ると天寧寺がある。井伊直弼の父直中が建立したお寺だ。このお寺ををどうしても訪ねておきたかった。
 1819年、大奥である槻御殿の侍女若竹が子を宿しているとの風評が藩主直中に届く。不義の相手が誰であるか問い詰めるが若竹は答えない。直中は大奥の風紀を守るため若竹を処刑する。後で若竹の相手は直中の長男直清であることが判明する。若竹がみごもっていたのは直中の初孫だったのだ。悲嘆にくれた直中は初孫と若竹の菩提を弔うために、天寧寺を建立して、京都の仏師に五百羅漢を彫らせて安置したという。
 さらにこのお寺には特別なお宝がある。井伊直弼が桜田門外で襲われたときに使っていた毛皮の座布団だ。あの日は雪の降りしきる寒い日だったので、直弼は暖かい毛皮の座布団を駕籠の中で使っていたのであろう。血の痕が残っているという座布団は特別開帳の日に見ることができる。残念ながらこの日は見ることはできなかった。

羅漢堂の中に安置されている羅漢像。3つの方向から五百の羅漢に見つめらるとかなり不気味。一人一人微妙に異なる複雑な心理状態が描写されているように感じられ、人間の業の奥深さが伝わってくる。

天寧寺の本堂と羅漢堂の間には枯山水の石庭があった。

天寧寺から彦根駅に戻ってきた。そこで見たものは「近江鉄道ミュージアム」。

こんな昔の電気機関車の展示を見ることができてよかった。

前編    TOP