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伊賀上野

伊賀神戸からはローカル風情豊かな2両編成の伊賀鉄道に乗り込んだ。土曜日の昼下がりだが学校帰りの高校生が多い。車窓の風景は木津川の両岸に広がった田園がしばらく続く。

そして桑町駅を過ぎた辺りから車窓の眺めが町の風景に変わる。茅町駅からは線路の両側ぎりぎりのところに民家が建っていて、電車は狭い隙間をすり抜けるように走る。広小路駅を過ぎ左方向に狭いカーブを曲がると目的地の上野市駅に到着した。

駅からは寄り道をせず、すぐに伊賀上野城の石垣に向かった。1608年徳川家康の命令を受け築城の名人藤堂高虎が伊賀上野城を大改修したときにこの石垣と水掘りは築かれた。日本一の高さを誇る石垣はどうしても見ておきたかったが、水底から30mなので、水上部の石垣は驚くほどの高さは感じなかった。

高い石垣が築かれたのは理由があった。この城は豊臣秀頼が居座る大坂城を徳川家康が包囲する最重要基地であり、大坂の陣が長期化したときは家康がこの伊賀上野城で指揮を執ることになっていた。石垣はやや痛んだ様子であるが、安政の伊賀大地震のときの被害だろうと、お城の係員さんが話していた。石垣のすぐ隣には上野高校があるが、学校から帰宅する生徒たちは見ず知らずの旅の者にも「こんにちは」と挨拶をしてくれる。たいへんすがすがしい気持ちにさせていただいた。

この明治時代の洋風建築は、石垣から5分ほど歩いた場所にある旧小田小学校本館。現存する小学校としては三重県下最古の建築で県の指定文化財となっている。

内部では初等教育の歴史に関する史料が展示されている。自分が小学1年生のときに使ったと思われる国語の教科書を手にとって読んでみたが、ほとんど記憶に残っていなかった。

ここも石垣から近い場所にある崇廣堂。伊勢津藩第10代藩主藤堂高兌が藩士の子弟を教育するため建てた藩校。国の史跡に指定されている。

広々とした講堂。ここで漢詩・朱子学・算術などの授業が行われたことであろう。門弟になった気分で正座してみた。

美しい緑の苔で覆われた中庭は絶品だ。訪れる人の数は少なく、閑静な空間を独占した。

進入禁止の場所はほとんどない。庭の中も自由に散策して楽しんだ。

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