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新築の木造再建が好み

飯田丸から見た数奇屋丸の二階御広間。一階は土間で二階は大広間。大広間は旅館の宴会場のようだった。

飯田丸からさらに上に登り数奇屋丸に入るところにある「地図石」。地面や壁のカットされた石の形が面白い。数奇屋という施設に似つかわしい感じがする。今まで人影はまばらだったが、数奇屋丸あたりから急にお客さんの数が増えた。韓国、中国からのお客さんが圧倒的に多く、日本人はほとんどいないと言えるぐらい少ない。

本丸御殿には闇通路(くらがりつうろ)という地下通路がある。御殿、天守、小天守に入るにはこの地下通路を通らなければならない。その入り口付近に写真のような変形した石がある。私は西南戦争の砲弾痕と思っていたが、係りの人にあっさり否定された。御殿が炎上したときの熱で変性したらしい。

闇通路を通り過ぎて本丸に入った。再建されて2008年から公開されている御殿の入り口は大銀杏の横だった。熊本城の係りの人はお客さんに対してこまめに「おはようございます」と挨拶をしていた。私がはっきりと「おはようございます」と返事をすると日本人であることを判ってもらえたのか、御殿の概要を解説してくれた。私もいくつか質問をしたのでかなり長く話すことになった。他のお客さんも大勢いるのに解説係りの人を独占するのは気が引けるが、ほとんど日本語の解説を必要としない中国韓国のお客さんばかりなので、まあいいかと思った。

御殿の中に入り縁側を通り過ぎる。木造で再建された新築の歴史的建造物は創建当時の真新しい雰囲気を味わえるので大好きだ。年月を経た現存遺構よりも好きだ。

若松の間の奥に、清正が豊臣秀頼のために設けたと伝えられる最も格式の高い昭君の間が見えた。

ここで初めて王昭君の物語を知ることになった。
古代中国、漢族は政略上の理由から匈奴に若い娘を指し出す必要があった。しかたなく漢族の皇帝は宮中の娘たちの似顔絵帳を見て一番醜い娘を選び匈奴に贈ることにした。中国の四大美女に数えられる王昭君は似顔絵を描いてもらうとき似顔絵師に賄賂を渡さなかったためひどく醜く描かれていた。このため王昭君が選ばれ匈奴に差し出されることになった。
白い馬に乗って異民族に嫁ぐ絶世の美女王昭君の姿が、昭君の間の襖に描かれていた。

天守の中は博物館。一番楽しめたのは熊本城の模型だった。周辺の武家屋敷まで一軒一軒精密に作られていることに感心した。参勤交代で瀬戸内海ルートに使用した船は残念ながら撮影禁止だった。韓国の団体客に朝鮮語で熱心に解説するガイドさんがいた。朝鮮語はわからないが何について話しているのかは分かった。そのガイドさんが指を差していたのは歴史年表の朝鮮出兵という所だった。

天守展望台から大銀杏・御殿・市内を眺めた。右手には熊本市役所のビル。中央には路面電車の走る通町筋が見える。熊本市は政令指定都市を目指すほどの大都市だった。

平左衛門丸の西北に建つ宇土櫓。

宇土櫓の内部に入った。

宇土櫓の最上階からの眺め。城からの眺望に近代的なビルは悪くない。城から見えると嫌だなと思うのは高速道路だ。熊本城からはそれは見えなかった。

城内から出てきた。もう一つ行きたい場所があった。それは旧細川刑部邸。熊本城内にあるので二之丸を通り過ぎて歩いていけば近いのだが、市内の様子も見たいので、わざわざ遠回りして市役所電停から路面電車に乗り杉塘電停まで行くことにした。熊本はバスの路線が充実しているが、地理に不案内な旅の者はレールのある交通機関に頼りたくなる。地図に路線が明記されているので安心できる。黄色い矢印信号に従って左折する路面電車の屋根の上から東十八間櫓が見えた。

杉塘駅電停で下車すると旧細川刑部邸まではすぐだった。旧細川刑部邸とは上級武士の屋敷を移築保存したもので、この写真はその玄関。

羨ましくなるような上質な部屋と中庭だった。

庭も高級であった。

この数奇屋は中に入ることができなかったが、柿葺の屋根を近くから観察することができた。

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