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天守内部・二之丸

小天守から橋台を通り天守に入る。本来の天守は5層5階だが、再建天守は5層7階になった。

鉄筋コンクリートで再建し、博物館相当施設になった天守の中にはこんな昭和前期的なデザインの階段がある。

驚いたことに天守内にはエレベーターがある!日本人のお客さんの多くは苦笑したり、落胆したりする。しかし私に同行してくれたオーストラリアからのお客さんは現存天守の急な階段よりこの方がいいと言っていた。いろいろな感じ方があるものだ。

天守展望台からの眺め。銅瓦がよく観察できる。遠くに見える市役所、県庁の屋根も銅瓦だ。しかし愛知県体育館の単なる箱のような無粋なデザインは残念だ。戦前の陸軍六連隊のほうがまだましだった。足元には復元中の本丸御殿の素屋根が見える。

平日は本丸御殿の復元作業を見学できる。隅櫓は非公開だが御殿は完成したら中を見せてくれるのだろうか。

名古屋城で一番大きな石。しかし加藤清正が扱ったわけではないので「清正石」の立て札はいらないだろう。ここは黒田長政の丁場だから。

本丸東二之門。内側の東一之門は空襲で焼失したまま再建されてない。城郭の枡形門は一般的に内側の門を二之門、外側の門を一之門と呼んでいる。しかし、名古屋城はこれが逆になって外側が二之門となっている。

こちらは本丸表門。外側の表二之門は現存しているが、内側の表一之門はこれまた空襲で焼失したまま再建されていない。外側が二之門となっているのは名古屋城らしいのではなかろうか。名古屋城は外からの攻撃に抵抗して篭城するよりも、中から外へ向かって出撃するための城だった。築城当時は大坂城への出撃を想定していた。実際家康は大坂の陣のときは名古屋城から出撃している。このとき一之門を出て次に二之門を出て、大坂へ向かったのだった。

表二之門。内側の鋼鉄フレームは、崩落から人を守っているのか、お客の手から重要文化財を守っているのか?・・・実は本丸御殿の工事車両が重要文化財を傷つけるのを防ぐための物だそうだ。

本丸を出て再び西の丸に戻ってきた。このあたりが大手馬出という小さな郭があったところ。離宮時代に天皇の馬車の通行の妨げになるといって、堀を埋められてしまったので、西之丸と大手馬出と二之丸の境はもうわからない。

 二之丸にある埋門跡。非常時に藩主が脱出するために作られた。ここから空堀に降り、水堀を船で対岸に渡り、土居下から大曽根を通り木曽方面への逃走を考えていたという。対岸の堀の外には藩主を守る腹心を住まわせ、逃走用の馬が絶えず備えられていた。これほど鉄壁な城に住みながらまだ心配だったのだ。
 このような構想を初めに考えたのはいったい何代目の臆病な藩主なんだろうか。私の勝手な予想では藩主ではなく徳川家康。あの人は、自分の子孫に対して「負け戦になったら天守で腹を切れ」とは言わない。「危険が迫れば逃げろ。命さえあれば巻き返す機会はめぐって来る。」とか言ってこれを造らせたのではなかろうか。
 ここは名古屋城の中で面白い場所だと思うのだが、ここを見に来るお客さんはほとんどいない。もう少しPRすればいいと思う。堀に下りるための木製の階段なんかも復元してもらいたい。資料としては十四代藩主慶勝が撮影した写真がある。

二之丸に残る南蛮たたきの鉄砲狭間。

二之丸の大木の木陰は夏でも大変涼しい。このあたりに壮大な二之丸御殿があったが、明治になって陸軍の施設を造るため、取り壊された。ここで憩うだけの市民から500円も徴収することはない。有料は本丸だけけでいいだろう。

二之丸から見た東南隅櫓。この内部を公開するどころかお客さんが近づかないように警備員を常駐させている。楽しくない城だ。

最後に二之丸大手二之門を見るために有料エリアから出て、愛知県体育館の横を通り抜ける。広い土地が空いている。

二之丸大手二之門。無料で見て触れる重要文化財だが誰も見に来ない。

二之丸の外堀も荒城の月状態だ。

帰り道、名古屋城最寄り駅の市営地下鉄名城線「市役所」駅へ向かう。左が名古屋市役所、右手が愛知県庁。壮絶な都市景観だ。ここだけならフィレンツェやプラハにも対抗できそう。道路を走る基幹バスがトラムだったら最高だ。

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